自分がより気楽になって健康的で豊かな人生を送るには、「絶対〇〇」をどれだけ手放せるか。
右と左、上と下、男と女、あなたと私、二極の狭間で生きているのだけど、
成長の過程でいつの間にか、「絶対〇〇」であるという自分の中の真実をつくるのを全員が経験する。
つまり人それぞれの「真実」があり、自分の絶対は他人の絶対とは限らない。
自分の見えている世界観に凝り固まって、自分の真実を絶対と証明したい欲求にかられると、自分と対立するすべてのものと闘わなくてはならなくなる。
これを葛藤といい、葛藤の多い人生とはストレスフルな人生のことをいう。
でも実はストレスは自分の凝り固まった「絶対」が生み出しているものだとしたら?
病気の原因はストレスと言われている本当の意味が分かります。
他者が変わるのを待ったり、コントロールしようとするよりももっと簡単に自分を楽にできる。
自分の感情が揺さぶられた時に「それは本当?」と疑ってみること。
イラっとした時は、どうしてイラっとしたんだろう。
他人が自分を怒らせるのではなく、自分が怒る引き金を他人がひいただけ。
引き金は自分の中にあって、怒りも自分の内側で起きることなので、他人がコントロールできるものではない。
人は嫌な気持ちになる状況を自分から率先して作ろうとはなかなか思わない。
怒らせるつもりで何かをするってそれほど多くなく、怒っているのは自分の中にある真実が覆されたり、自分が正しいと思っていることで生じる期待が叶わなかった時だ。
だから、え?っていうような状況で怒られた時は自分が悪くて怒った相手が正しいと思う必要もない。
なにか相手の引き金を引いてしまったんだと。そういう考えもあるんだと理解しようとするだけでいい。
自分の真実を主張すればますます「正しさの押し付け合い」になってしまうから。
- 友達、家族、パートナーなら当たり前
- 大人なら、親なら当然
- 私のことを好きならわかってくれるはず
- 弱者には優しくしなければならない
- 洗濯物はきれいにたたまなければならない
「家に上がるときは靴を脱ぐ」という日本では当然の正しい習慣も、海外に出れば非常識になることがあるように、どこでも揺らがない「正しいこと」や「真実」はほとんど存在しない。
- 優しくした方がいいけど余裕がなくてできない時もある
- 大人も成長途中の人間で完璧な人などいない
- 好きならすべてを受け入れるべきと誰が決めたの?
- 弱者とは、誰にとっての?
- 洗濯物はきれいにたたまなくても問題なく着られる
「絶対」と言ってしまうことが多いほど、自分も宣言した手前それを証明しなければならない。
自分が決めた「絶対」を守れなかった時、自分を責める。
他人を責めるのも自分を責めるのも、かかるダメージは同じ。
「絶対」を「そうでないこともある」という風に、少しづつ自分に掛けている鎖を緩めていけたら。
見えてくる世界も身体も変わります。