「やってあげる」と「待ってあげる」
子供を育てた経験がないので説得力に欠けますが、育つのを「待つ」ということを時には喜び、時には試練として経験されてきた大人の方は多いのではないでしょうか。
私の親もそうだったでしょうし、親も祖父母から同じように育ってきたと思います。
その時が来るのを「待つ」のはカラダに対しても同じです。
私たちは不快なものを否定したくなる生き物ですが、「産みの苦しみ」のごとく、その体験や過程が必要なこともあります。
施術後の好転反応や不安定期も、今より良い状態を得るための通過点のようなもので、「待つ」技術の出番です。
よほどのことがない限り手を加えずに自分のカラダに委ねて経過を待つことにはこんな意味があります。
子供を育てるのも、自分の健康を育てるのも同じ
「待つ」技術は、自分のカラダを育てることが子供を育てるのと少し似ているのかなぁと私は思います。
転んで泣き出した子供を起こしてあげて抱きかかえて連れて行ってやることもできますが、気が済むまで泣いて自力で立ち上がり自分の足で再び歩くのを待っててあげる。そんな親心もありますよね。
なんでも先回りしてやってあげて、子供の自分で考える力、経験値にする機会、自立する力を奪ってしまわないようにの親心。
「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」という話で、「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」という考え方です。
自分のカラダも同じで、「○○(施術や薬など)がないと健康を保てない」という依存状態になって欲しくありません。
施術も治療もたくさんやればいいものとも言えず、匙加減が必要だと考えます。
例えば、熱が出ているのを薬で下げるのは、熱で菌を殺して健康を立て直そうしているカラダ側からすれば迷惑行為です。
水分補給などをしながら経過を待っててあげるカラダへの信頼と発熱の知識があれば、あれこれ手を加える必要がないことがわかります。
でも、「発熱はよくない」「熱が下がれば治る」というちょっと誤った教育が先走り、この時カラダではどんなドラマが起きているのかを知らないからつい焦ってやってしまうのであって、もし発熱がどんな理由で起きているか理解していたら対応は全く違うものになるでしょう。
カラダが自らバランスをとろうとするのを信頼する
自分で立て直す能力(=自然治癒力)を育てるうえで、次回の施術までの間隔を広めに持つのは、施術によって調整された自然治癒力に委ねる期間でもあり、カラダの自立を待つ期間です。
私たちは長年の教育や文化的な影響ですぐ薬を使うように言われたり、何かしらの治療を受けなければ治せないという教えが染みついて自然治癒力を活かさなくなっていましたが、人間は医療に頼らないと生きていけないとしたら…人類の歴史はとっくに終わっているはずです。
本当の治癒は今の医学でいわれる、数値がどうたらとか症状があるかないかではなく、快適な状態が持続することと、崩れても自力で戻れること、カラダを理解することです。
カラダには個性があるので健康診断のように数値を一定の枠に当てはめようとしすぎる所はかえって危険ですし、数値が悪くても全体のバランスがとれていて元気ならほとんど心配いりません。
どうしたらいいかは医師よりも自分のカラダが一番知っているから、自分のカラダと対話する、理解する時間も必要ですね。
自分のカラダを信頼するのは理解なくしては難しい。
体調不良になって不安を感じるのは当然ですが、何が起きているか理解できたらそれほど不安になりません。
原因が分かると安心したり診断がつくと安心しますよね。
客観的に自分のカラダを判断してもらうのと共に、自分でもある程度予測することができたら、どの時点で病院に行こうとか、このくらいならまだ待とう、このぐらいならセルフケアで間に合いそうだ、そういう風に選択肢が増えることで精神的な余裕を持つこともできます。
緊急時でなくてもツールがあると安心できるから、セルフケアの引き出しはたくさんあっても困らないですね。
セルフケア講座系、来年はもっとたくさん企画できるかな~。
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執筆者
かとう治療室
流山市南流山で整体・鍼灸(女性鍼灸師)・内臓調整を中心に総合サポートをしています。ボディートーク、エムレス等。つくばエクスプレス/JR武蔵野線 南流山駅より徒歩6分。駐車場2台分あり。不定休・完全予約制。お問い合わせはLINEかフォームが便利です。お電話の場合は留守電にお名前とメッセージを残してくださると折り返しご連絡いたします。