“同じものでも見る角度が違うと違うものにみえる”
東洋医学から見たら西洋医学は浅はかなもの。
こうして対立が続いていたのは、同じ患者さんに対してみる所や考え方が違うからです。
例えば、「車の調子がおかしい」とする。(「なんか変」な状態)
タイヤかなぁ…タイヤ屋に行けばタイヤとそれに関連する場所の状態をみてくれます。
板金屋ではボディの凹みや塗装などが問題ないかをみます。
ディーラーに行けばその車の構造や仕組みの状態を調べてくれますが、タイヤ屋や板金屋に行ったら何も異常はないと言われるかもしれません。
ちょっと偏った例え話ですが、人のカラダで「なんかおなかが痛い」という症状になったら、
胃腸科、消化器科、内科、外科、婦人科、泌尿器科、循環器科…どこに行ったらいいでしょう?
もし、胃腸科に行って胃腸の検査で何か原因が見つかればラッキーですが、見つからなければ「異常はない」となるでしょう。
どこに行ってもはっきりせず…ドクターショッピングをしたあとでまさかの歯が原因だった!なんてこともありうるわけです。
これは西洋医学は局所の問題に着目するのが得意だけど、全体の調和を図るのは苦手という性質があるためです。
一方で東洋医学は症状や病気は全身の調和が崩れていることの反映だと考え、現在の状態から効率的に回復させていくにはどこを調整したらいいかを考えて施術します。
なので症状と関係なさそうなところまで見たり施術をするわけです。
西洋医学の強みは特定の作用を狙った薬の使い方(毒を以て毒を制す)や、外傷や救命などの時間と命に関わる問題です。
どんなに全体の調和が大切と言えども、今ここで出血が続いている人に対して止血を優先しないのは適切ではありません。
どちらがいいとか悪いとかではなくそれぞれの役割を果たすために必要な見方や考え方をしているだけなんです。
ですが、両者には強みと弱みがあって、得意じゃないことまでやろうとすると途端にバランスが悪くなります。
例えば、筋肉のコリやハリを西洋医学的に解決しようとしたり、脳出血や臓器の損傷で緊急な時に東洋医学で解決しようとするときなどです。
こういったことが起きているから互いを否定しあったりしてしまうんだと思います。
どこかで線を引いて上手に協力と役割分担できるようになるといいのですが。
それでも数年前よりはだいぶ良くなってきた気がします。
この関係性の変化(東洋医学vs西洋医学)を待つより、ひとりひとりが自分で決める力をつける方が早いでしょう。
どんなかたも東洋医学と西洋医学のその使い分け方は(明確に決まっているわけではないですが)知っていた方がいいと思うんですね。
併用だってできますし、自分が望む結果を得るために何を選択したらいいか自分で考えるのは大切です。
それには、普段から自分のカラダに興味をもって観察する習慣をつけると、ある不調が起きた時にどうしてそうなったのかと、この場合はどこに頼ればよさそうかの思考や判断が速やかにできます。
眠りが浅いからカラダの力が抜けなくなっているのかな。
呼吸がしにくいからカラダが緊張しているのかな。
動くと楽になるから血流がよくないのかな。
このくらい気が付ければ自分でできる対策もとれます。
うまくいかなかったら施術を受けたり病院の力を借りればよくて、なんでも外部の力に任せなければ健康を保てないほど人間のカラダは弱くありません。
(もしそうなら環境や気候の変化でとっくに絶滅しているはずです)
現代社会は依存させる社会になっていて、一人一人の考える力や生きる力をいつの間にか奪っています。
身体は間違いなく自分がどのように扱ってきたか、自分のカラダについてどう思っているのかが現れます。
病気や不調はカラダからのメッセージのようなもので、病気から学ぶこともあります。
ぜひ、自分のカラダに興味をもってくださいね。
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執筆者
かとう治療室
流山市南流山で整体・鍼灸(女性鍼灸師)・内臓調整を中心に総合サポートをしています。ボディートーク、エムレス等。つくばエクスプレス/JR武蔵野線 南流山駅より徒歩6分。駐車場2台分あり。不定休・完全予約制。お問い合わせはLINEかフォームが便利です。お電話の場合は留守電にお名前とメッセージを残してくださると折り返しご連絡いたします。